自分たちの良さを潰されていることに気づかない日本人

 

最近、ふと思った。


もともと人間は

自分がしたい事

好きな事、得意な事だけを楽しんで

探求したりしてればいいんじゃないかって

それで、得意分野を人から頼まれたりしてたんじゃないかな

 

今回タイトルにある”日本人の良さ”とは

①最善を探求するのが好き

②人を評価するのが苦手

 

現代社会はこの”日本人の良さ”をうま~く

押さえ込んでいることに気づいた

 

今の社会は

学校であらかじめ色々教えてくれて

成績が悪いと

できない人とレッテルを貼られるし

自分でも、ちゃんと勉強しなきゃとか思っちゃう

あ〜〜怖い事

 

だって全ての人が全てのことを出来たら

それぞれが存在している意味がなくない?

 

それに、自分がやりたいと思う事より

やらなきゃいけないって思う方が強くなる

だから

自分の本当の気持ちを抑え込んで

やりたいことを見失ってしまいがち

 

ある人が

政治家も、分からない事は

「分からない」って言えばいいんじゃないですか?

って言ってた。

私もそう思う。

 

政治家に限らず

難しい質問してる場面を見かけるけど

知らない、分からないって言ったら

立場によっては炎上⁈

更に本人が勉強不足と思って

「勉強します。」とか言っちゃうのかな。

 

これって、なんでも最善を求める日本人の弱い部分と思う

 

もちろん、最善を探求するから

日本の伝統や文化、技術等が生まれてると思う

 

更に一つ一つの文化をよく見ると

漆の茶碗を作るにしても担当があって

それぞれの得意分野での最善が揃って作品が完成してるんだよね

 

だから

各自、得意分野をしてればいいのに

知識や学歴、役職など

レールからズレると

ダメ人間みたいに感じてしまう

 

勉強しても

深くわかることと

苦手な事は

みんなある

 

昔、寺子屋があったと聞いたけど

昔から

算数・国語・理科・社会・図画工作

全部やってたのかな?

 


大人だって得意不得意がある

だから学ぶ子が興味のある事を

知ってる友達や大人に聞きに行ってたんじゃないかな

そして、大人もそこに学びがあったんだろうなぁ

 

学校って、そもそもそう言うのがいいと思う

読み書き計算はみんなに教えて欲しけど。。

それ以外は

各自がしたい事をするのがいい

 

それなのに今の教育は全部適当に教えて成績まで付ける。

 

成績って必要?

 

そもそも人間が誰かの成績をつけるなんて

おこがましい。

 

仕事の場面で日本人は人を評価するのが

売上や業績のみで

それ以外で評価するのが苦手と聞いたことがあるけど

当然だと思う

 

誰かを評価する事が苦手な日本人にとって

また

最善を探求する日本人にとって

今の学校のレール

会社のレール等は

日本人の弱みに漬け込んだ

優れた仕組みと思う

 

自分の本当の気持ちを

感じにくくさせるからね

 

なぜ”日本人の良さ”を潰されてる状況が生まれているのか

わかるよね。

そう、日本人の精神力の強さを痛いほどわかっている人たちの仕業でしょ~

 

日本人よ

本来の日本人の良さを

何も恥じる事なく

自信を持って取り戻そう!